タモリの若い頃を徹底調査!

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もーおく。

どうも!もーおく。です!

この記事では、

  • タモリさんの若い頃の画像が見たい
  • タモリさんの若い頃のエピソードを教えて
  • タモリさんが若い頃から親交がある芸能人は?

などの疑問についてお話していきます^^

芸能界の大御所タモリさん

大御所だけど気取らない、真摯なスタンスが素敵すぎますよね(笑)

お年を召された現在でも、多くのレギュラー番組を抱えおられます。

今回はそんなタモリさんの若い頃のお姿やエピソードを徹底調査しました。

是非ご覧下さい♪

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タモリの若い頃を徹底調査!

タモリさんは若い頃、どのような方でどのような活動をされてきたのか、早速みていきましょう^^

幼少時代、学生時代、社会人時代、芸能界デビュー後に分けてお話ししていきます。

幼少時代

タモリさんは1945年8月22日福岡県福岡市で生まれます。

スポーツ大好きで活発な少年だったタモリさんですが、小学校3年生の時に悲劇が…。

タモリさんは電柱のワイヤーが右目に突き刺さるという事故で、右目を失明してしまいました…。

普通なら塞ぎこんでしまうところですが、ご自身の明るい性格と家族のサポートもあって塞ぎこむことなく、幼少期を過ごされます。

ちなみにタモリさんは、小学生の時におばあさんから料理を教わっていたようですね^^

学生時代

中学校時代・高校時代は、部活(中学:剣道部と陸上部、高校:剣道部と吹奏楽部)に明け暮れたタモリさん。

後述しますが、吹奏楽部に入りトランペットを担当したことが、今後の人生を大きくわけることになります。

1年浪人の末、早稲田大学に入学したタモリさんは、モダン・ジャズ研究会に入会しトランペットを担当します。

しかし先輩から

「センスがない」

と言われトランペットを断念(笑)

同研究会で司会兼マネージャーを担当することになります。

その時についたあだ名が「タモリ」なんですね。

ジャズ界では人名を逆さにして呼ぶ事が多く、

本名の「森田」=「タモリ」になったそうです(笑)

その後、早稲田大学の学費を滞納してしまったタモリさんは、早稲田大学を退学になり、地元福岡に帰って社会人として働き始めます。

社会人時代

福岡に帰ってきたタモリさんは、保険外交員として朝日生命で3年間働いたり、ボーリング場の支配人になったりと、多くの社会人経験を積まれます。

その後、タモリさんは日本のジャズピアニストとして有名な山下洋輔さんと、たまたまお酒の席で一緒になります。

山下洋輔さんはタモリさんのお笑いの才能に惹かれ、多くの関係者にタモリさんを紹介。

そして月に一回、東京で「伝説の九州の男・森田を呼ぶ会」が開催されることになります。

「森田を呼ぶ会」で、何度か上京していたタモリさん。

そこで運命の出会いが訪れます。

「面白い奴がいる」という噂を聞きつけた赤塚不二夫さんがタモリさんの笑いのセンスにベタ惚れ

「この男を福岡に返すまい」と思った赤塚不二夫さんは、タモリさんをご自身の4LDKのご自宅に居候させます。

さらに赤塚不二夫さんから、月に2〜30万円のお小遣いを貰うというVIP待遇。

赤塚不二夫さんからそこまで言わしめる、タモリさんの実力、恐るべしですね(笑)

結婚・奥様・お子さんについて

話は少し戻りますが、タモリさんは福岡に帰ってきてから、2歳年上の奥様とご結婚されています。

奥様は朝日生命時代の同僚で、お付き合い後そのままゴールイン。

奥様は一般の方なので、ほとんど表舞台には姿を現していません。

また奥様は芸能界のことが嫌いのようで、タモリさんのお仕事に関しても、口出しは一切してこないようです(笑)

奥様との間には、お子さんはいらっしゃらない、というか作らなかったようで、その理由としては

「自分が子供なので親父になる責任が持てなかった」とおっしゃっています。

めちゃめちゃ大人なイメージのタモリさんからは、想像できない発言ですよね^^;

芸能界デビュー後

タモリさんは赤塚不二夫さん宅へ居候後、山下洋輔さんが常務取締役をしていた「オフィス・ゴスミダ」の所属タレントになります。

タモリさんのテレビ初出演は、赤塚不二夫さんの番組「漫画大行進 赤塚不二夫ショー」で、その出演がきっかけでテレビ学園祭などのオファーが殺到することになります。

ただ、「オフィス・ゴスミダ」は学園祭の主催者と金銭トラブルがあり、解散することになりました。

その後、田辺エージェンシーと契約を結んだタモリさんは、「空飛ぶモンティ・パイソン」「金曜10時!うわさのチャンネル!!」などのテレビ番組に相次いで出演。

また、ラジオ番組では「オールナイトニッポン」のパーソナリティーとして支持を集めます。

そして、1982年タモリさんの代名詞でもある「森田一義アワー 笑っていいとも!」の放送が開始されます。

同番組は2014年3月31日をもって終了となりましたが、私たちの記憶にはいつまでもタモリさんの勇姿が鮮明に残っていますよね^^

また特別篇などで「笑っていいとも!」を見たいものです♪

若い頃の芸風は?

今や知的なイメージが強いタモリさん。

しかし、芸能界に登場した当時はその芸風が独特だと話題になりました。

タモリさんの当時の代表的な芸「イグアナの形態模写

難解なことを解説しているように見えて全くでたらめなことを話ししているとい芸「中洲産業大学教授」

言葉遊び芸「ハナモゲラ」

などなど、タモリさんの芸風は他の芸人さんとは全く違うものでした。

あまりに際どい芸風から、当時のタモリさんは、現在の江頭2:50さんのような存在として扱われていたみたいですよ(笑)

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タモリの若い頃から続く交友関係は?

最後にタモリさんの若い頃から続く、交友関係についてみていきましょう。

赤塚不二夫

まずは大恩人である赤塚不二夫さん

上述しましたが、赤塚不二夫さんはタモリさんの才能に惚れたお一人で、2008年赤塚不二夫さんが亡くなるまでその交友関係は続きました。

赤塚不二夫さんの葬儀の際は、タモリさんが8分間に渡る弔辞を読み、人々に感動を与えましたよね。

黒柳徹子

黒柳徹子さんとタモリさんは「漫画大行進 赤塚不二夫ショー」からの交友関係になります。

黒柳徹子さんが司会を務める「徹子の部屋」には、タモリさんは合計39回出演しています。

(昔は1年に1回、ゲストとして登場していたようですね^^)

とんねるず

とんねるずとタモリさんは「お笑いスター誕生」からの交友関係になります。

元々、とんねるずはタモリさんのことを崇拝しており、タモリさんが審査員を務めていた「お笑いスター誕生」では、「なんか分からないけど、お前らは面白い」とタモリさんから高評価をもらっていたそうですよ^^

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タモリの若い頃を徹底調査!まとめ

いかがでしたか?

今回、タモリの若い頃を徹底調査!についてお話しさせていただきました。

まとめますと、

  • タモリさんは若い頃、右目を失明する大事故にあった
  • タモリさんは山下洋輔さんとの出会いがキッカケで人生が変わった
  • タモリさんは赤塚不二夫さんのもとで居候していた

ということが分かりました。

こうやってタモリさんの若い頃のエピソードを見ていると、人間色んなご縁で出来ているんだなと感じます^^

まだまだ現役で頑張っておられるタモリさん。

お体には気をつけていただき、いつまでもお茶の間に笑いを届けてほしいですね♫

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

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